MIT NANDA 「The GenAI Divide」 · Executive Summary 「組織の 95% がリターンをゼロで終えている」 「統合された AI パイロットのうち、 数百万ドル規模の価値を引き出しているのは 5% にすぎない」
「AI の 5% しか使えていない」 という言い方を見かける。 素朴な疑問として、 使っている時点で 100% ではないのか、 という反応が起こる。 この疑問は的を射ている。 5% と言うためには、 100% にあたるものが定義されていなければならない。 満点の書かれていない答案用紙に 「5 点」 とだけ記されていても、 それが良い出来なのか悪い出来なのかは誰にも言えない。 元値の書かれていない 「50% オフ」 の値札と同じで、 割合は分母が分かって初めて意味を持つ。
調べてみると、 AI をめぐる 「5%」 には、 少なくとも 4 つの異なる分母があった。 そして、 そのうちのいくつかは互いに正反対のことを述べている。
4 つの 5% と、 その分母
- MIT NANDA の報告書の 「95% / 5%」 —— 前者の分母は組織、 後者の分母はパイロット (同じ段落にありながら分母が違う)
- 同報告書の図表の 「5%」 —— 分母は業務特化型 GenAI の導入検討から始まる流れ。 一般用途 LLM は同じ図表で導入成功 40%
- DeNA の南場智子会長の 「5%」 —— 分母はあるプロジェクトの作業量。 人の手が 5% で済んだ、 という逆向きの意味
- 「AI の 5% (または 10%) しか使えていない」 型の言説 —— 分母は 「AI の全能力」 とされるが、 その実数も測り方も示されていない
着眼点
報告書の中で、 分母が入れ替わる
2025 年 7 月に公開された MIT NANDA (Project NANDA) MIT Media Lab の AI エージェント関連イニシアチブ。 報告書「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」の発行主体。 表紙の記載は「MIT NANDA」で、 報告書中に「Media Lab」の語は現れない。 著者は Aditya Challapally、 Chris Pease、 Ramesh Raskar、 Pradyumna Chari の 4 名 の報告書 「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」 が、 この数字の出所である。 まず書誌を正確にしておく。 これは 査読前の暫定報告 学術誌の査読を経ていない段階の報告。 当該報告書は 2 ページ目に「Preliminary Findings」と明記され、 版は v0.1 のまま。 報告書 26 ページを通じて peer review の語は現れない であり、 版は v0.1、 2 ページ目には 「本報告書の見解は著者と査読者のものであり、 所属先の立場を反映しない」 という免責がある。 査読者として名前が挙がっている 1 名は、 著者 4 名のうちの 1 人でもある。 標本は、 公開されている AI 導入事例 300 件超の review、 52 組織への構造化インタビュー、 4 つの業界カンファレンスで集めた上級リーダー 153 名の回答である。
冒頭の要約に、 2 つの数字が並んでいる。 「組織の 95% がリターンをゼロで終えている」 と 「統合された AI パイロットのうち、 数百万ドル規模の価値を引き出しているのは 5% にすぎない」。 前者の分母は組織、 後者の分母はパイロットである。 同じ段落で分母が入れ替わっているのに、 95 と 5 が足して 100 になるため、 表裏の関係にあるように読める。
さらに図表を見ると、 別の限定が付いている。 業務特化型 GenAI と一般用途 LLM 報告書が区別する 2 つのカテゴリ。 業務特化型 (embedded or task-specific) は 調査 60% → パイロット 20% → 導入成功 5%。 一般用途 LLM (general-purpose) は 調査 80% → パイロット 50% → 導入成功 40%。 広く報じられた「95% 失敗」は前者の裏返しであり、 後者を含まない のうち、 5% という数字は 業務特化型のものだ。 一般用途 LLM は同じ図表で導入成功 40% と示されている。 つまり広く報じられた 「95% 失敗」 は、 うまくいっている側のカテゴリを外した数字である。 部活の勝率にたとえるなら、 試合に出た部員だけを数えるのか、 一度も出ていない部員まで含めるのかで、 同じ 1 年間の同じ部活でも発表される数字が変わる。 数え方を選ぶこと自体は不正ではない。 問題は、 どう数えたかが数字と一緒に伝わらないことにある。
加えて、 図表の基数 (何組織を数えたのか) は報告書のどこにも示されていない。 注記は 「カテゴリによって標本規模は異なる」 と述べるにとどまる。 20 人中 1 人と 200 人中 10 人は、 どちらも 5% だが、 後ろにいる人数がまるで違う。 成功の判定についても、 報告書は 「利用者または幹部が、 顕著で持続的な生産性または損益への影響があったと述べたもの」 と定義している。 財務諸表の検証ではなく 自己申告 測定対象の当事者が自ら申告した値。 第三者による検証や監査を経ていない。 MIT NANDA の成功判定も、 DeNA の効率化数値も、 いずれもこれにあたる による判定である。 測定期間はパイロット後 6 か月で、 著者自身が付録で 「複雑な企業システムには 6 か月では不十分かもしれず、 成功率を過小に見せている可能性がある」 と書いている。
同じ報告書に、 逆向きの事実が載っている
この報告書を引くとき、 一緒に読まれるべき記述がある。 シャドー AI 企業が正式に契約していないにもかかわらず、 従業員が個人アカウントの AI ツールを業務に使っている状態。 MIT NANDA の報告書は、 公式契約 40% に対し、 調査対象企業の 9 割超で個人ツールの日常的な利用が報告されたと述べる についての一節である。 報告書によれば、 公式に LLM の契約を購入したと答えた企業は 40% にとどまる一方、 調査対象企業の 9 割超で従業員が個人の AI ツールを業務に日常的に使っていると報告された。 報告書はさらに、 ほぼ全員が何らかの形で仕事に LLM を使っていた、 と書いている。
同じ調査が、 企業としての投資は成果に結びついていないと述べる一方で、 働く人はほぼ全員が既に使っていると述べている。 「AI をほとんど使えていない」 という像は、 少なくともこの報告書からは出てこない。 片側だけを切り出すと、 報告書そのものを読み違えることになる。
なお報告書内には、 数字の食い違いも残っている。 予算配分について要約は 50%、 本文は約 70% と書いており、 しかもこの配分は実支出の集計ではなく、 幹部に仮想の 100 ドルを部門へ割り振ってもらった回答である。 産業セクター数についても、 要約は 8 分野中 2、 本文は 3 箇所で 9 分野中 7 と書いている。
逆算した値は、 独立した測定値ではない
3 つめの 5% は、 意味が逆になる。 DeNA の 南場智子 (なんば ともこ) 株式会社ディー・エヌ・エー 代表取締役会長。 2026 年 3 月 6 日に渋谷ヒカリエで開かれた社内外向けイベント「DeNA × AI Day 2026」のクロージングセッションに登壇した 会長が、 2026 年 3 月 6 日のイベント 「DeNA × AI Day 2026」 のクロージングで語ったものだ。 公式オウンドメディアの全文書き起こしから、 逐語で引く。 「プロジェクトによっては、 今までやっていたことの 5% が人で、 95% が AI である、 すなわち 20 倍の生産性を手にしたというプロジェクトもあります」。
ここでの 5% は 人の手が担った割合であり、 「AI を 5% しか使えていない」 とは正反対の意味になる。 そして注意したいのは 「20 倍」 の位置づけだ。 これは 5% という比率を本人が 「すなわち」 で言い換えたもので、 別途測定された値ではない。 牛乳を 20 分の 1 に薄めたことと、 かさが 20 倍になったことは、 同じ 1 回の操作を裏表から言っているだけで、 2 回測ったわけではない。 逆算値が独立した測定値のように引かれると、 根拠が二重にあるように見えてしまう。
文脈も添えておく必要がある。 この発言の直前は開発の話で、 コードを書く仕事が大幅に減ったという社内の状況が語られている。 発言自体も 「プロジェクトによっては」 「〜というプロジェクトもあります」 と二重に限定されている。 同じ講演では、 リーガルチェックで 90% の効率改善、 QA は半分の工数、 配信審査は 60% 削減という数値も語られたが、 いずれも 「特定の業務に関しては、 AI を前提として業務フロー自体を組み換えることで」 という限定の下にある。 これらはすべて DeNA 自身の発表であり、 測定手法・対象期間・基準値は公開されていない。 そして講演の結論部分は、 効率化は進んだ一方で新規事業への人材シフトは思ったほど進んでいない、 という未達の報告になっている。 数字だけを切り出すと、 講演の趣旨が反転する。
見出しと本文で、 分母が入れ替わる
4 つめが、 冒頭の疑問の対象である 「AI の能力の 5% (または 10%) しか引き出せていない」 型の言説だ。 本文まで直接確認できた実例では、 見出しは 「ほとんどの人は AI の能力の 10% しか使っていない」 と読める形だったが、 本文で比較されていたのは 筆者が書いた 2 本のプロンプトの出力品質だった。 見出しの分母は AI の全能力、 本文の分母は 2 本のプロンプト。 途中で分母が入れ替わっている。
同型の見出しは他にも見つかったが、 本文を取得できない媒体にあり検証していない。 また、 数字が同じでも意味が別のものもある。 ある寄稿は 「AI が生成した出力のうち手元に残すのは 1〜5%」 と述べていたが、 これは出力の採択率であって、 能力の利用率ではない。 見出しだけを並べると同じ型に見えてしまう。
では 「AI の全能力の何%を引き出せているか」 を測る指標はあるのか。 学術論文の検索、 業界の成熟度モデル、 企業が公開している利用実態の分析といった範囲を探したが、 今回の探索範囲では、 そのような指標を特定できなかった。 見つからなかったことは、 存在しないことの証明ではない。 ただ、 この言説を目にしたときに 「その 5% は何に対する 5% か」 を確かめる手がかりが、 少なくとも容易には得られない、 とは言える。
「脳の 10%」 という先例
分母のない割合が広く信じられた例として、 脳の 10% 俗説 人間は脳の 10% しか使っていない、 という広く流布した俗説。 神経科学の研究機関の解説では否定されている。 起源は特定されておらず、 自己啓発や広告で長く用いられてきたことが指摘されている がある。 神経科学の研究機関の解説では、 これは誤りとして扱われている。 正しい像はむしろ逆で、 脳は全体が働いており、 そのときの用途に応じて活動する場所が変わる。 全教室に配線が通っている校舎のようなもので、 使っていない教室が 9 割あるのではなく、 用のある部屋がそのつど明るくなる。 夜間も警備の明かりと空調は動き続けている。
燃費の面からも見当がつく。 体重 60kg の人で脳はおよそ 1.2kg、 飲料のペットボトル 1 本ほどの重さである。 その器官が、 1 日に摂るエネルギーのおよそ 5 分の 1 を使う。 9 割が遊んでいる器官に、 この配分は割り当てられない。 それでもこの俗説が残り続けてきたのは、 「使われていない余地が 9 割ある」 という話が、 自己啓発や広告と相性が良かったからだと指摘されている。
数字を受け取るときの 3 点
ここまでの 4 例に共通するのは、 数字そのものの正誤ではなく、 数字が単独で移動していく過程で分母が落ちることだった。 報道の過程で標本が変わる例もある。 経済誌の記事 (2025 年 8 月 18 日、 署名記事) はこの報告書を 「リーダー 150 名へのインタビューと従業員 350 名の調査」 と紹介したが、 原典の記載は 52 組織へのインタビューと 153 名の回答である。 日本語の記事の多くはこの経路の数字を引いている。
実務的な受け取り方として、 数字を見たときに次の 3 点が添えられているかを確かめると、 検算ができるかどうかが分かる。
- 誰が言ったか —— 発表主体は誰で、 その主体は測定対象と利害関係があるか
- 分母は何か —— 何に対する割合か。 その分母の実数は示されているか
- 誰が測ったか —— 自己申告か、 第三者の検証を経たものか
この 3 点が欠けている数字は、 誤っていると決めつける必要はない。 ただ、 受け取る側で確かめる手立てがない、 とは言える。 冒頭の 「使っている時点で 100% ではないのか」 という疑問は、 まさにこの検算をしようとしたときに、 手がかりが見つからないことへの反応だった。
実在するのは、 割合ではなく使い方の差
とはいえ、 AI の使い方に幅がないわけではない。 MEMEX がこの数か月に扱ってきた一次情報は、 その幅が百分率ではなく質の違いであることを示している。
Anthropic のラミス・ムクタ (Lamis Mukta) は、 モデルの知能だけでは複利で積み上がらず、 その仕事をこなすための文脈が別に要ると述べた。 差はモデルの側ではなく、 その周りに何を組んだかにある。 マット・ポコック (Matt Pocock) は、 道具を増やすほど良くなるわけではないと指摘した。 使用量の多さと使いこなしは別である。 バラージュ・ホルヴァート (Balázs Horváth) は、 律速がコードを書くことから 「何を作るべきか」 の見極めへ移ったと論じた。
素のチャット窓で一問一答することと、 文脈とガードレールと監査を組んだ系を回すことは、 やっていることが別である。 ただしその違いは、 モデルの能力の何%という形では表せない。 表せるのは、 何を組んだか、 という中身のほうだ。
関連リソース
- MIT Media Lab NANDA グループ概要 (発行主体の確認)
- Project NANDA 公式
- DeNA 公式オウンドメディア: 南場智子 スピーチ全文書き起こし (2026-03-19)
- DeNA 公式リリース: DeNA × AI Day 2026 開催概要
- DeNA × AI Day 2026 クロージング (公式動画)
- MIT McGovern Institute: 脳の 10% 俗説について
- BrainFacts.org (Society for Neuroscience): 同上
- 関連: ラミス・ムクタ 「メモリの次に来る dreaming」 (知能だけでは複利にならない)
- 関連: マット・ポコック 「優れたスキルの 4 項チェックリスト」 (道具を増やせばよいわけではない)
用語集
- 分母
- 割合を計算するときの母数。 何に対する割合なのかを決める。 分母が示されない割合は、 読み手の側で検算する手がかりがない。 満点の書かれていない答案、 元値の書かれていない値引き表示と同じ構造になる。
- MIT NANDA (Project NANDA)
- MIT Media Lab の AI エージェント関連イニシアチブ。 報告書「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」(2025 年 7 月、 v0.1) の発行主体。 表紙の記載は「MIT NANDA」で、 報告書中に「Media Lab」の語は現れない。 2 ページ目に、 見解は著者と査読者のものであり所属先の立場を反映しないという免責がある。
- 査読前の暫定報告
- 学術誌の査読を経ていない段階の報告。 当該報告書は「Preliminary Findings」と明記され、 版は v0.1 のまま。 引用する際は「MIT の研究で判明した」ではなく、 発行主体と段階を正確に書く必要がある。
- 業務特化型 GenAI と一般用途 LLM
- 報告書が区別する 2 つのカテゴリ。 業務特化型は 調査 60% → パイロット 20% → 導入成功 5%。 一般用途 LLM は 調査 80% → パイロット 50% → 導入成功 40%。 広く報じられた「95% 失敗」は前者の裏返しであり、 後者を含まない。
- 自己申告
- 測定対象の当事者が自ら申告した値。 第三者の検証や監査を経ていない。 MIT NANDA の成功判定 (利用者または幹部の発言に基づく) も、 DeNA の効率化数値も、 いずれもこれにあたる。
- 逆算値
- ある比率から機械的に導かれる値。 人の手が 5% になったことと生産性が 20 倍になったことは、 同じ 1 回の事実を裏表から述べたものであり、 独立した 2 つの測定ではない。 並べて示されると根拠が二重にあるように見える。
- シャドー AI
- 企業が正式に契約していないにもかかわらず、 従業員が個人アカウントの AI ツールを業務に使っている状態。 MIT NANDA の報告書は、 公式契約 40% に対し、 調査対象企業の 9 割超で個人ツールの日常的な利用が報告されたと述べている。
- 脳の 10% 俗説
- 人間は脳の 10% しか使っていない、 という広く流布した俗説。 神経科学の研究機関の解説では否定されている。 分母のない割合が長く信じられた先例であり、 「使われていない余地がある」 という物語が自己啓発や広告と相性が良かったことが指摘されている。
- 数字を受け取るときの 3 点
- 誰が言ったか (発表主体と利害関係)、 分母は何か (何に対する割合で、 その実数は示されているか)、 誰が測ったか (自己申告か第三者検証か)。 この 3 点が欠けている数字は、 誤りとは限らないが、 受け取る側で検算する手立てがない。